読んでて飽きるかもですが、私自身の日記としてアップします。
すいません。
今年は自分自身においても、変化がありました。
日記にもアップしてありますが、
大学時代から札幌での就職、北大病院研修医、そして倉吉倉吉動物医療センターへのJターン?と激動の私を支えてくれた にゃんこのきなこを8月に亡くし、私の中の一つの時代が終わりました。
もう一匹・・・・。
お気づきの方も数人いらっしゃったかもしれませんが、
うちの入院室の片隅のケージに寝たきりの柴犬が開院当初からいました。推定17歳の柴犬たろうです。
たろうはうちに来て6年、最後の2年間は介護生活でした。そんなたろちが、12月の20日に天に召されていきました。
最期1年半はほぼ寝たきりだったので、延命的な治療は避けようとは思っていましたが、朝昼晩夜中と体位交換や食餌のお世話、いま思えば、たろうには悪いけど、正直なところ、そんなに長く続くとは思ってもみなかったことが継続できた理由の一つかもしれません。
実際のところ、認知症のようになり、寝たきりで自分で水もご飯も介護なしで食べれないわんこは、私も自分で病院を開いていなければお世話は無理だったと思います。
勤務していたら、職場に連れて行くわけにもいかないし・・・・。
たろうは、気に入らないことがあったり、ウンチをしても診察が忙しくてしばらくそのままになっていたりするとワンワン鳴いて自己主張

通常の状態だと手をかけなけれすぐにでも亡くなってしまっておかしくない状態かもしれないけど、自分が頑張ればなんとかできるかもしれない状態・・・・。一日も休むことはできないけど。
この2年間は学会等私が不在時には実家にお世話を頼みはできたものの、実家のものもなかなか大変なので、私は数日しか家を空けたことはありませんでした。
本当にこのような状態で、ながらえて、たろちも苦しいのではないだろうか、私の自己満足なのか?と薬で楽にしてやることも相当考えましたが。
弱って口も動かないような状態でも、食べ物のにおいを嗅ぐとおなかがグーグーいったり(当たり前のようですが、本当になくなる数日前までそうでした。)して、最期まで生きることに貪欲なたろちを、自己満足といわれるかもしれないけど、最期までサポートしてあげるのが、飼い主としての責務なのかなあと思い、介護を続けました。
生かすも殺すも自分次第、できてしまう立場もなかなか大変でした。
どちらが良かったのか、結局最期まで答えは出ることなかったけど
ちょうど診察の合間に、呼吸がおかしくなっているのに気づいて、名前を呼んで手をさすりながら見送れたのがせめてもの救いです。
私なりの 結論としては、今回のようにとことんやったとしても、途中で本人の苦痛を取り除くといった意味で、安楽死にしても、どちらにしても、何かしら後悔が残ったと思います。

動物たちは
生きることに貪欲で、最期まであきらめてはいません。
そんな動物たちに、最善の治療ができるよう、アスリー動物病院も前進していかないといけませんね。
そして突然亡くなってしまったきなこと、2年間介護を行ったうえで看取れたたろうと、両極端でしたが、ともに過ごして得られた喜びと思い出と、そしていろいろな教訓とを大切にして、今後の私の人生と診察とに生かしていけたらなあと思っています。
私は、職業柄、動物の死に遭遇することは多いと思います。
でもその子その子にとって、それぞれの飼い主さんにとって、思いやりの心と、悲しみとともにその子との歴史が沢山たくさん詰まっています。
時にリスキーな症例の場合、死を過剰に恐れても逆効果のこともあるけど
やはり死に鈍感になってはいけない。
そう 思っています。
がんばれニッポン。がんばれ東北!!
私もがんばります。
来年もきなしんともどもアスリー動物病院をよろしくお願いいたします。
よいお年を

昨年はお世話になりました、今年もよろしくお願いします。
ブログの更新毎回楽しみにしてます
書き込みができなかった方は、お手数ですが病院HPの一番下のアドレスにメールをいただければ助かります。
なんでだろー。調査中です。
コメントありがとうございます。
それと指摘と・・・。
お恥ずかしいです。
おかげ様できなしんに認証する機能がつきました。
健康でも 予防医学が重要ですので 定期検査やそのほかなんでもご相談ください。
>山本さん
ミンクさん今日も元気そうで何よりです。
長い付き合いの病気となると思いますが、アスリーとともに頑張っていきましょう。
飼い主は獣医でもそうでなくとも思うところは同じですね。
私も一人の飼い主なのです。
自分が納得できる治療ができるよう今後も精進していきたいと思っています。
まだまだ修業が足りません。
一生 修業だと思います。
よろしくお願いします。